《天恵豊穣》 比内地鶏 認証受けずニーズ追求/秋田
更新日付
04/21/2010
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「コッコッコッ」。2段重ねのケージ(鳥かご)に約2000羽の鶏が並び、猛烈な勢いでエサをついばんでいる。「フンはすべて下に落ちて衛生的。エサに異物が混じることもありません」。年間約5万羽の「比内地鶏」を生産する最大手「秋田高原フード」(北秋田市)の大塚智哉さん(35)が強調した。
ケージ飼いは、県が2008年に始めた比内地鶏の認証制度では認められていない。日本農林規格(JAS)では、孵化(ふか)後28日以降、鶏舎内の床や地面を自由に動き回れるように飼育したものを「地鶏」と定めており、この考えに沿ったものだ。
高原フードは1999年、大塚さんの義父が設立した。最初は放し飼いもしていたが、04年、各地で相次いだ鳥インフルエンザ予防のためケージ飼いに完全移行した。「感染すれば地域全体の出荷が止められ、生産者は壊滅してしまう。大手業者として、万全の対策をとるのは当然の責務だった」
ところが、07年、大館市の食肉加工業者が偽の比内地鶏を販売していた事件が発覚。これをきっかけに県の認証制度が作られた。当時、ケージ飼いは流通量の約2割を占め、その排除には異論もあったが、県は以前から比内地鶏を「放し飼い」とPRしていたことや、JASも念頭に、ケージ飼いを認めなかった。
事件を契機に、血統の統一も図られた。天然記念物の「比内鶏」をルーツとする比内地鶏には元々、県畜産試験場の鶏と、高原フードの同族会社である「黎明(れいめい)舎種鶏場」(大館市)の鶏の2系統があり、交配方法が異なっていた。市場占有率は黎明舎系が約7割に上っていたが、事件後、県はDNAの識別方法が確立されている試験場系に一本化する方針を決め、黎明舎も合意した。これを受け、生産者は次々と試験場系の鶏に移行していった。
だが、高原フードは、その後も黎明舎系の鶏を飼い続けてきた。ケージ飼いに加え、鶏の選択でも県の考えに逆行する形となったが、黎明舎系の方が元々流通量が多かったことから、「消費者の評価に賭けてみよう」と考えたわけだ。
当初、県の認証から外れたことで取引停止が相次ぎ、約2億7000万円だった年商は1年間で半減した。だが、放し飼いより肉質が軟らかくなるというケージ飼いや、黎明舎系の鶏への評価は根強く、徐々に売り上げが回復していった。
取引を打ち切っていた県内の大手スーパー「いとく」は昨年12月、「昔の地鶏を食べたい」などの客の声を受け、販売を再開した。大手デパート伊勢丹(東京)は08年10月、高原フードの鶏を扱い始め、売れ行きは順調という。今年1〜3月には、大手航空会社の機内食になったきりたんぽ鍋などの具材としても、高原フードの鶏が使われた。
ただ、県の認証制度やJASへの配慮もあり、いとくは「秋田高原鶏」、伊勢丹は「秋田鶏伊扇(いせん)」として販売している。大塚さんは「黎明舎系の比内地鶏を守り続けている自負がある」としながら、「名前はともかく、消費者の評価が一番うれしい」と言う。
現在、県内約150軒の生産者の中で、ケージ飼いも、黎明舎系の鶏も、ほぼ高原フードだけになっているという。県は「できれば鶏を統一し、認証も受けてほしい」とするが、大塚さんは「両方あれば消費者の選択肢も増える。互いに努力し、比内地鶏の評価を高めていければいい」と話している。(読売新聞)